aoiumiのブログ

その日の出来事を書いていきます。

金子みすゞ・こだまでしょうか

麻生元副総理大臣は原発汚染水を、


「飲んでも何てことない」っていう


「ただちに人体、健康に害がないと」っていう


「麻生さんですか」っていうと


いいえ、


「菅さん」っていう


「うそつくな」っていうと


「うそつかない」っていう 


原発汚染処理水を飲んでもなんてことない。



「それでは麻生さん毎日飲んで」っていうと



「飲まないと言う」


「自民党議員の皆さん飲んで」と言うと



「飲まない」と言う


一度か二度飲んで、ただちに問題がないと申しあげたという。


ウソつくな!誰も、そんな話は聞いたことはない。



「うそつくな」っていうと


「うそつかない」っていう



「感染したなら全財産を寄付するかと」言うと


「寄付しない」という


「こだまでしょうか」 


いいえ、麻生です




金子みすゞさんの詩を脚色してみました。原文は次と通り。



こだまでしょうか



「遊ぼう」っていうと


「遊ぼう」っていう


「ばか」っていうと


「ばか」っていう


「もう遊ばない」っていうと


「遊ばない」っていう


そうして、あとで


さみしくなって


「ごめんね」っていうと


「ごめんね」っていう


こだまでしょうか


いいえ、誰でも。



金子みすゞ20歳


金子みすゞ


1903年山口県生まれの女性童謡詩人。郡立大津高等女学校(現・山口県立大津緑洋高等学校)卒業。父・庄之助は、妻(みすゞの母)の妹の嫁ぎ先である下関の書店・上山文英堂の清国営口支店長だったが、1906年(明治39年)2月10日、みすゞが3歳のときに清国で不慮の死をとげる。劇団若草の創始者である上山雅輔(本名:上山正祐)は彼女の実弟であるが、幼くして母の妹(みすゞにとっては叔母)の嫁ぎ先である上山家に養子に出されている。叔母の死後、雅輔の養父・上山松蔵とみすゞの母が再婚したため、みすゞも下関に移り住む。同時に、みすゞと雅輔は実の姉弟でありつつ、義理の姉弟の関係となる。


1926年(大正15年)、叔父松蔵の経営する上山文英堂の番頭格の男性・ 宮本啓喜と結婚、娘を1人もうける。しかし、夫は正祐との不仲から、次第に叔父に冷遇されるようになり、女性問題を原因に上山文英堂を追われることとなる。みすゞは夫に従ったものの、自暴自棄になった夫の放蕩は収まらず、後ろめたさからかみすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通を禁じた。さらにみすゞに淋病を感染させるなどした事から1930年(昭和5年)2月に正式な離婚が決まった(手続き上は成立していない)。みすゞは、せめて娘を手元で育てたいと要求し、夫も一度は受け入れたが、すぐに考えを翻し、娘の親権を強硬に要求。夫への抵抗心から同年3月10日、みすゞは、娘を自分の母に託すことを懇願する遺書を遺し服毒自殺、26年の短い生涯を閉じた。


複雑な家族構成


上山雅輔はみすゞの弟でありながら姉とは知らずに過ごし、恋心を抱くようになり、叔父松蔵は番頭格の男性・宮本啓喜と結婚させる。雅輔の養父・上山松蔵とみすゞの母が再婚したが雅輔は実母とは知らないで過ごす



ラン&ウォーキング日記



96ヶ月連続75万歩
以上に挑戦
(既に達成した100万歩連続60ヶ月含)


2022年2 月3日


累計歩数
132 .697 .158 歩
距離 約106 .158km 、2.65396周


①2 月の目標 75万
歩1日26.800歩(21.4km)


②2月3日の実績34.067 歩(27.3km) 


③2月トータル105.688歩(84.6km)
達成率14.1%


今日も皆様へ素敵な1日が訪れますように!