aoiumiのブログ

その日の出来事を書いていきます。

遠き遥かなる思い出、ウォーキングを始めた理由は命懸け

ウォーキングの話し


時々、私のラン&ウォーキングについてお前嘘こくな、という噂が流れる。 


嘘こがね。一昨年無理し救急車のお世話になりました。  



ウォーキングを始めた理由



札幌市内は真冬を思わせるまずまずの天気であった。私と技術者A君、さらに営業部員1名がライトバンに試験装置を積み込んでいた。試験機材は200kg位。当社の製品が事故を起こした。



行き先は道南方面、小樽回りにするか、中山峠回りにするかで意見が分かれたが、近道ということで中山峠回りに決定した。


社内規定は運転連続2時間、または100kmで交代することになっている。出発地点から中山峠までは技術者A君が運転することになった。



札幌市内を抜け定山渓温泉に入った頃から、にわかに降雪が激しくなってきた。嫌な予感はしないでもなかったが、それほど心配はしていなかった。



中山峠に着いたところで運転手は営業部員に代わった。彼は33歳で運転歴は長く、事故歴はなかった。吹雪模様の運転は大丈夫と判断した。


ところが、中山峠を100m位下った辺りから地吹雪が凄くなってきた。前方が見えない所か、道路幅の標識も雪に埋まり見えない。これはちょっと危ないと思ったが、止まれば追突されるし、前に進むには道路がはっきり分からない状態になっていた。運転手はフロントガラスに顔をくっ付けるように前傾姿勢でハンドルを握っていたが、はっきり言って目くら運転。



一瞬物凄い音がした。



川の向こうで母親が私を呼んでいる。こっちへおいで!母親は既に亡くなっているのに、まだそこにいるのかい。と声を掛けた。大きな川でなく、とても綺麗な川だった。母親は優しい顔をしていた。直ぐ行くと声を掛けたところで、違う声が聞こえた。



そこには、女房や家族の顔があった。昏睡状態から24時間23分で意識が戻ったのだ。長い眠りであった。



他の2名は前後して昏睡状態から意識がもどった。全員助かったのだ。私は両足複雑骨折、右腕骨折、内臓損傷、心臓血管損傷、重症である。ドクターは両足切断もあるかもしれないと家族に話していたという。


それから長い闘病生活に入った。手術は何回行ったか分からない。ドクターは歩行は困難で職場復帰は無理だろうと診断を下していた。



入院生活が1年を過ぎた頃からリハビリー治療に入ったが、10mも歩けない。人生を諦めかけていた頃。シベリア収容所から脱走した囚人が山間部を6000km歩いてインドにたどり着き保護されたノンフィクション小説(脱出記)を読んでから、かすかな夢が湧いてきた。一度死んだ人生。俺も6000km歩いてやると、心に決めた。死んでもいいのだから・・・・・



それから、毎日廊下を伝い歩きすることに決めた。目標は100m。廊下を何度も行き来し、1時間で100m歩いた時には涙だが出てきた。


1年半後には退院をした。心臓血管にはステント(ステンレス管)を埋め込んだ。糖尿病も発病していた。糖尿病は事故により膵臓の膵管に異常を来たしたらいい。糖尿病の薬は、血液中の糖分を減らすこともあり、脱力感や立ち眩みなどに襲われ、歩行に困難をきたしていた。



退院してから数か月後、松葉杖が不要になった。町内を1km歩くことができるようになった。ドクターは奇跡だという。会社は休職扱いから出勤扱いにしてくれた。仕事は1週間にレポートを10枚書き上げることであった。上司はレポートなんかどうでも良いから、毎日歩け、歩くのが仕事だと思えと言った。この暖かい言葉に、止めどもなく涙が出た。


それから毎日歩いた。雨が降ろうが雪が降ろうが休むことはしなかった。ついに町内一周3kmを歩けるようになっていた。足や体の手術跡は痛いが歩いた。退院し1年が過ぎた頃には10kmまで距離を伸ばしていた。ドクターは信じられないという。ドクターも調子に乗りドンドン歩けと発破を掛ける。



退院後、2年を過ぎた頃には普通の人とは何ら変わらない歩き方になっていた。距離は20kmに伸びていた。会社にはこの事実を報告していたが、仕事復帰の声はかからない。上司はゆっくり体力を養なっておけ、今に復帰させてやるからという。




本格的にウォーキングをやり出したのはこの頃からである。ランをやりたいが無理であった。以前、北海道マラソンに4回参加した経験がある。我々一般参加選手は3時間の壁を破るのが夢であるが、その壁を2回破っている。


体力が付いて来ると、どうしてもマラソンをしたい意欲が湧いてくる。北海道マラソンは毎年必ず見に行く。今年は一般参加選手に付いて沿道を10キロ走った。今も懐かしく思いその沿道を時々走る。



数年前、会社から呼び出しがきた。辞令が出ると言う。背広に着替え定刻より早く出社し、部長に挨拶をした。社長には、部長が付き添いで挨拶に行った。



私「長く会社にはご迷惑をお掛けし申し訳ありませんでした。退院後は社長の温かいご配慮により治療に専念できることが出来ました。重ね重ね有難うございました」


社長「大変だったでしょ!これから少しじつ仕事に慣れるようにしなさい。張り切り過ぎないように」



辞令は専務から出た。○長職で課長兼務であった。



仕事は横に置いて。毎日会社までの往復20kmをウォークすることを自分に課した。今あるのは、リハビリ以外は考えられない。足が職場を取り戻したのだ!


ラン&ウォーキング日記


6月の目標
99ヶ月連続75万歩(600km)以上に挑戦


(既に達成した100万歩連続60ヶ月含)
2022年6月4日


累計歩数
137.986.670歩
距離 約110.389km 、地球1周4万キロとして2.75973周


①6月の目標 75万
歩1日25.000歩(20.0km)


②6月4日の実積
32.324歩(25.9km)


③6 月トータル
117.781歩(94.2㎞)


④達成率15.7%


今日も皆様へ、素敵な一日が訪れますように!