aoiumiのブログ

その日の出来事を書いていきます。

アンパン道路

札幌市内にウォーキング大会コースでもあるアンパン道路がある。
アンパン道路の歴史をご覧下さい。
豊平区の老舗「月寒アンパン本舗ほんま(月寒東2)」がある



豊平村(後の豊平町)で陸軍に菓子納入業を営んでいた大沼甚三郎は、東京銀座で木村屋總本店が開発したアンパンを噂で知り、現物確認はせずに独自開発によりアンパンを製造し、月餅の生地に似たアンパンが出来た。そのアンパンの製法を指南された一人、本間与三郎(創業者)が月寒村にて「月寒アンパン」の製造販売を開始した(1906年 「月寒アンパン」の製造販売を開始。菓子の他、食品・日用雑貨も扱う「大原屋本間商店」を設立。)。終戦後(第二次世界大戦)製造を再開したが、製造メーカーは、唯一となった。当時はツキサップアンパンと呼ばれていた。



明治43年、豊平町(ほぼ現在の豊平区・清田区・南区の領域に相当)の一部が札幌区に編入され、役場が豊平から月寒に移転されることとなた。当時りんご栽培で有名だった平岸と月寒とを結ぶ道路はなく、平岸の住民らは連絡道路の建設を要望。平岸村の分離独立運動まで起きた。


豊平町は当地に駐留していた陸軍第7師団歩兵第25連隊に道路建設の協力を要請、地元民も参加して全長約2.6キロメートルの道路建設工事が行われ、4か月の工期で1911年(明治44年)に歩兵第25連隊将校集会所(月寒中央通7丁目、現月寒中央公園)、および豊平町役場(月寒西1条6丁目、現月寒児童会館)と平岸(札幌市立平岸小学校付近)を結ぶ道路が完成した。


札幌ツーデーウォークのコースでもある。
アンパン道路建設風景(ほんま資料館より)



(現在のアンパン道路。このすぐ左手にはアンパン道路の看板が立てられている)


町は道路工事に従事した兵士に間食としてアンパン(月寒アンパンとして現在も発売されている)を配布したことから、この道路はアンパン道路という通称で後世親しまれることとなった。(ウィキペディア引用)


ラン&ウォーキング日記
 
9月の目標
102ヶ月連続75万歩(600km)以上に挑戦
(既に達成した100万歩連続60ヶ月含)   


2022年9月15日   


累計歩数
140.586.078歩
距離 約112.469km 、地球1周4万キロとして2.81172周 


①9月の目標 75万
歩1日25.000歩(20.0km)   


②9月15日の実積 
36.600歩(29.3km)


③9月トータル
436.374歩(349.1㎞)


④達成率58.2%


今日も皆様へ、素敵な1日が訪れますように