タナイ村を訪ねて32キロの旅
数年前の記事を編集し再投稿。
オタナイ村を訪ねて32キロのラン&ウォークの旅。
いまから400年前オタナイの沼を中心にアイヌ部落(オタナイ村)が栄えていた。生活は漁業を主に狩猟で生計を立てていた。近くに新川が流れていることからサケの漁獲は生活に大きかったと思われる。
慶長年間1596年(約400年前)福山の住人、八木勘右衛門がオタナイ村に入り和人として初めて漁業を営む。
和人はアイヌ人をなかば奴隷のように扱い、権威をふるっていた。アイヌ人は顔に似合わず、気がすごく優しい。反発することは殆どない。
和人に娘や女房を愛人にさせられても我慢していた。
部落は次第に和人の村となっていった。
参考資料
アイヌの学校(差別用語が多いことから絶版)
その他インターネットより引用
国道5号線を銭函駅へ向かう、約12キロ地点
駅を折り返し、銭函海岸通りを通る
小樽ドリームビーチ海水浴場に入る。
海の家は撤去され閑散としていた
来年も、海の家が立ち並び賑やな季節となる
更に、銭函町からオタナイ村へ続く古道に入る
草原を行くと前方に車止めのガードが見えてきた。
廃橋、小樽内橋にたどり着く。オタナイ村へつながる計画でしたが、村人は去り約半世紀前に工事は中止され廃橋となった。
オタナイ村は、漁港に適した場所は無く村人はオタルに住み着き小樽となったと言う説がある。
廃橋、小樽内橋 をご覧ください。
写真は数年前、現在撤去された。
橋を真っ直ぐ行くと向こう側に車止めは無く、ドポンと川に落ちる。
廃橋を4キロ程迂回し、獣の道が続く
オタナイ発祥の地記念碑が見えてきた。
横に方向台
小樽や各方面の方向を示している
オタナイの沼・400年前アイヌ達は漁をしていた。
沼に流れ込む川は無く、海へ流れ出す川も無い。湧水か?そして沼の水は絶えることは無いことから自然蒸発?
400年前と何ら変わらない荒れた日本海がある。
新川河口
カモメも飛んで、遥か向こうに小樽市街が見える。この海でニシン漁をしていたのか?
住居跡と思われる
新川の向こうに手稲連峰が見える。アイヌ達もこの川で生計を立て、幾度となく見上げたことか!
昨年の写真
天気に恵まれ、現地をよく観察することができた。
夏に入ると背丈ほどの野草に覆われ住居跡は見ることは出来ない。先人を偲びながらウオークの旅でした。
オタナイ村やオタナイの沼は、殆んど知られておらず、隠れたお勧めスポットである。
今日も皆さまにとって、素敵な一日でありますように
ラン&ウォーキング日記
10月の目標
103ヶ月連続75万歩
(600km)以上に挑戦
(既に達成した100万歩連続60ヶ月含)
2022年10月29日
累計歩数
149.205.487歩
距離 約119.364
km 、地球1周4万キロとして2.98411周
①10月の目標 75万
歩1日25.000歩(20.0km)
②10月29日の実績11.731歩(9.4km)
③10月トータル734.985歩
(588.4km)
達成率97.6%
今日も皆様へ素敵な1日が訪れますように!
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